私がスポーツクラブですること

最近は、通っておりませんが、かつて、土曜日の午前中にスポーツクラブによく行っておりました。スポーツクラブで私がしていたことは、ランニングと金トレです。そして、汗をたくさんかいた後は、そのスポーツクラブに設置してあるジャグジーで汗を流して、疲れをとるというものでした。サウナ等も利用して、とても爽快な感じでした。
競技場においてプロサッカーチームのサポーターは、選手と同じサッカーユニフォームを着こなして、声援を送ることで、その場を、より身近に楽しむことができます。ピッチに立つ選手達にとっても、観客席に自分達のサッカーユニフォームを着たファンがいると、まるで味方の人数が増したようで、再び力が湧き上がるかもしれません。
【僕たちのプレーボール 日本製紙石巻硬式野球部】初夏(4)

 通い慣れた道のはずだった。横浜から石巻に来て2年目、コンビニに行くにも、食堂に行くにも、毎日のように通っていた道だった。

 「それが迷ったんです。目印になる建物が津波でなくなっていた。自転車で走っていて、どこ曲がったんだっけ?って」

 日本製紙石巻のピッチャー、太田裕哉(ゆうや)(22)は遠くを見る目をした。道の両側には、津波で破壊された民家の柱や土砂があちこちにうずたかく積まれている。「なんで石巻なんだ、なんで東北なんだって思った」

 太田は左腕から繰り出す140キロを超える力強い速球を武器に今シーズン最も期待される投手のひとり。

 地元・宮城出身。祖母は石巻の沖合に浮かぶ人口約500人の網地(あじ)島に住む。

 太田は岩手の一関学院高校でエースとして活躍、甲子園にも出場した。その後、社会人野球の日産自動車(横須賀市)で3年間、投手をつとめた。順風満帆。「プロに行きたい」。夢がふくらんでいった。

 しかし平成21年、経営合理化の波を受け、日産自動車は休部となった。

 「もう野球は続けられないのかと思った。今度の震災でもう一度、あのときのことがよみがえった」

 社会人野球の選手にとって最もつらいのが、企業の方針で野球部が突然なくなることだ。太田も野球ができる場を求めた。「呼んでくれるチームもあったけど、プロにいきたいとの思いもあったので…。そのうち肩を痛めて、このまま野球をやる場がなくなってしまうのかと絶望した日々もありました」

 日産時代の監督の紹介で日本製紙石巻の練習に参加、力を認められ、移籍が決まる。心機一転、新天地での野球はこれまでの人生で最高に楽しいという。

 「チームが大好きなんです。明るくて、やるときはやるって感じで。だから震災が起こったとき、また移籍しなきゃいけないのかとつらかった」

 そんなとき野球部存続の一報が入る。「もちろんうれしかった。でも石巻がこんな状況で、僕たちだけ野球やってていいのかと複雑な気持ちに陥った」

 石巻市は、宮城県東北部の旧北上川と北上川の河口に位置する人口約16万人の美しい町。

 ヒラメ、ホヤなど海の幸に恵まれ、漁業が盛ん。日本製紙石巻工場をはじめ産業都市としての側面も大きい。標高56メートルの緑豊かな日(ひ)和(より)山(やま)に登ると、海に面した市街地が一望できる。古来、松尾芭蕉ら多くの文人が訪れた土地でもある。

 野球部の後援会長を務める石巻商工会議所の浅野亨会頭(69)は「石巻は本来住みやすい、いい町」と言う。

 後援会は昨年、野球部強化とともに発足した。

 「町を元気にするのは産業振興だが、支えるのは人間のハート。それを奮い立たせるにはスポーツが一番。町に根ざした日本製紙さんが野球部を強化するというので一肌脱ぐことにした」

 後援会には石巻の企業数十社が名を連ね、試合の応援はもちろん、壮行会も行う。浅野会頭も昨年、都市対抗初戦の応援に、東京ドームまで駆けつけた。

 「あのとき、石巻は一丸となった。いま、がれきの中に暮らしているからこそ、『負けてなるものか』と思わせてくれる心の支えがいるんだ」

 太田は震災後、津波で家を流された上司から「君は野球のことだけ考えていればいいから」とわざわざ電話をもらった。

 「そのとき心に誓ったんです、本当に頑張らなきゃ、と。僕がやれることは野球しかない。都市対抗に出ることで、工場や町のみなさんへの感謝の気持ちを表したいし、ほんの少しでも力になることができれば、と思う」

 野球をやることの重みが、去年と今年では違っている。=敬称略(亀岡典子)

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 ロンドン五輪アジア2次予選クウェート戦(19日・豊田、23日・クウェート)に臨むU‐22日本代表が16日午前、4日間の静岡合宿を打ち上げた。この日は小雨の降る中、FK時の守備を確認。スローイン時のボールのもらい方など、細かいプレーを練習した。
 関塚隆監督は「この4日間、順調に1つ1つトレーニングが積めた。選手は意欲的で戦う気持ちがチーム全体にわき出ている」と総括。一行は午後、決戦の地・豊田入り。最終調整に入る。

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